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「掛軸 本阿弥光悦」
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掛軸 本阿弥光悦
激動の戦国時代に生きたスーパーマルチアーティスト本阿弥光悦。本阿弥光悦は1558年京都に生まれ、工芸家、書家、画家、出版者、作庭師、能面打ち、と実に様々な顔を持つマルチ・アーティストです。本阿弥家は足利尊氏に仕えたといわれる初祖明本以来、刀剣の磨ぎ、拭い、鑑定の三業を生業として栄えた有力な商家で、光悦は7代光心の長女妙秀を母と光心の養子となった光二を父として生まれました。光悦の母妙秀尼は、その晩年には、届けられた贈り物をすべて貧しい人たちに分け与え、90歳で亡くなったときには、唐物の反物一つ、浴衣、木綿の布団しか残っていなかったということです。のちに光悦は、「商売人としてだけでなく、人間として正しい生き方を教えてくれた人」と回想しています。光悦は、家職はもちろんのこと、様々な分野で優れた功績を残していますが、中でも能書については、きわめて独創的で自由奔放、筆の流れを感じさせ、近衛信尹、松花堂昭乗とともに「寛永の三筆」と称されました。また、当代随一の数寄者としても知られ、数々の作陶も手がけています。中でも国宝に指定されている光悦の『不二山』は、雪を冠した富士山のような情景を茶碗に見事に投影させている。40代の頃光悦は、才能があるのに世の中に埋もれている若い芸術家の発掘に注力し、その中で見出した人物の1人、俵屋宗達との合作「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」や「薄に月図」を生み出しました。「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」は目を見張るほどの鶴を約15mにわたって宗達が筆先で飛ばせ、そこに光悦が絶妙な位置、タイミングで「光悦流」と呼ばれる文字を書き上げた斬新かつ調和の取れた「書」で、徳川家光から「天下の重宝」とまで言わしめた作品です。1615年、徳川家康から約9万坪の広大な土地を鷹ヶ峰に与えられます。一族や友人、また光悦の呼びかけにより集った多くの芸術家を引き連れ、「芸術村:光悦村」を築き上げました。光悦の築いた芸術村は日本のルネッサンスの地とも言われ、彼らが残した技法と精神は今日まで受け継がれ、今もなお絵画や漆工、陶芸、建築など様々な芸術に息づいています。本阿弥光悦の掛軸はありませんか?
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